2020年12月15日

寺子屋でかつてのコミュニティ再生-養護学校を後援、障がい者を物(仏)心で支援-

神奈川県横浜市・常倫寺

神奈川県横浜市鶴見区の曹洞宗常倫寺では、上原良廣住職と妻の智恵さんが協力し、寺子屋サロンの開催や障がい者福祉支援を通じて、人と人をつなぐ取り組みを実践している。地域の人にとって娯楽と社交、癒しの場だったお寺の懐かしい姿の再生を目指している。

寺子屋サロン

寺子屋サロンが始まったのは7年前。元客室乗務員(CA)の智恵さんが、キャリアを生かした「接遇講座」を発案した。幼稚園のママ友が「お寺に行きたい!」と背中を押してくれたことでスタート。これを機に〝ありがとう〟の文字だけで図形を描く「ありがとう曼荼羅」、精進料理&坐禅体験や冠婚葬祭講座、「やる気のスイッチ講座」等々、多彩な寺子屋を開講してきた。
近年力を入れているのは「ホツマツタヱ」の紙芝居。古代文字「オシテ」を使い、神々の歴史を綴った叙事詩で、講師の解説後に、智恵さんが制作した紙芝居で物語を絵解きする。紙芝居が「わかりやすい」と好評だ。
多彩な寺子屋の講師は智恵さんの人脈に拠るもの。資格マニアでもあり、国際マナーや心理学、コーチング等を学び、手相から心理系まで多数にわたる。なぜ多くの資格を取得したのか。智恵さんは「お寺には悩みを持つ人がたくさん来ます。最初は一緒に泣いているだけでしたが、それだけではいけないと思い、その人に合わせた対応をできるようにと」と話す。
在家からお寺に入り、当初はその違いに戸惑った。「家と仕事が同じ空間にあることに慣れなかった」。寺族の仕事に加え、子育てや家族の介護で忙しく体調を崩したことも。そんな経験を経て「人に支えられて、生かされて、今いのちがある」との思いを深めた。
寺子屋のアイデアは二人で話し合う。「次はこんな人にお願いしたい」と提案する智恵さんに、上原住職は「よほど怪しくなければOKですよ」と応じる。
 こうした智恵さんの働きに「自分だけでは限界がある。縁が広がることは有難い」と上原住職。「縁がなければ相談相手としても思い浮かばない。お寺の敷居は高いけれど、相談しやすい存在になることが、本来のお寺の姿なのだと思う」
父の後を継いだで住職に就いたのは15年前だが、高校生の頃から仕事を手伝ってきた。「辛い状況にある人をどうフォローするのか」。難しいが、やりがいでもある。葬儀では一方通行の法話だけではなく、遺族との対話にも力を注ぐ。「会話のできる関係があるからこそ、そのなかで悩みや不安もこぼれてくる」

障がい者の方への理解

14年前には地元の養護学校の後援会を立ち上げ、会長を務める。「町内にあるのに養護学校に行ったことがない人が9割。障がい者の方に生活しづらい環境があるのは、我々が知らなさすぎるから」と理解することから始めた。後援会では会費と寄付金で学校へ備品を提供したり、防災環境を整備してきた。入学式や卒業式にも参加する。地域の作業所からは週2回、境内と本堂の掃除をお願いする。「人間は誰かに頼りにされることがとても大事なこと」と住職。お寺という場だからこそ、活動を通して「誰も分け隔てなくという意識」を広げている。

二人三脚で地域の却下を照らす

新型コロナの影響でサロンは休止中、再開に向けて充電中だ。「これからは仏教の言葉も伝えたい。勉強中です」と智恵さん。「仏教の言葉は難しいと思われがちだけど、日常にある言葉一つ一つに意味がある。それに気づいてもらいたい」と上原住職はいう。最近の葬儀や法事の場では「主人公」という言葉をとりあげている。「主人公は一番目立つ人というイメージがあるが、本来は自分を大事にし、自分を見失わないように生きることを教えている。コロナの状況でこそ、人に流されず、遠くを見るのではなく、自身の足下を見つめて、一人ひとりが主人公として生きていけるように」との思いで伝えている。
常倫寺の寺子屋はそんな気づきを得る場…。「そんなに立派なことまで考えてません。楽しんで帰ってもらえれば嬉しい」と智恵さんは笑う。「けれど…。仲間には優しくても知らない人には扉を閉ざしてしまう人が増えた気がします。どこか薄情になってしまった心を取り戻したい、という思いはある」と話す。
年配の檀信徒からは「昔、紙芝居や落語を見に来ていたよ」「習字を習っていた」と声をかけられる。「新しい活動のようでいてかつてあったもの。檀信徒のほか、様々な方とつながりを持ちながら、現代版のお寺コミュニティを作っていきたい」と上原住職。二人三脚で地域の却下を照らす活動を続けている。

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